新潟の戦争遺跡・戦跡 ~先人たちの足跡~


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村松飛行場の特設

練兵場跡

幻の飛行場

村松陸軍少年通信兵学校において、昭和20年(1945年)4月に第13期生を迎える頃には農耕や豪舎・防空壕などの構築が多くなっていたようで、6月になると、軍用飛行場を特設するため、村松町に特設作業隊が訪れたとあります。『村松町史』では、作業完了までの様子を次のように記録しています。
本部を村松小学校に置き、同小学校の外、川内方面等に分散して宿営し、滑走路・飛行機格納場所等の設営に当たった。
村松飛行場は、村松練兵場から菅名地区にかけて、約三○町歩と報ぜられていた。設営に当たっては作業隊の外、村松・五泉郷の学童まで奉仕作業に従事した。
滑走路の形態がほぼ完了したころ、終戦を迎え、実戦に役立てることはなく、また、空襲の試練を受けることもなかった。
【村松町史より転載】(※1)
国内各地には本土決戦に向け設営されたものの、未使用のまま終戦を迎えた設備は少なくないようです。また『村松町史』では、終戦後の様子を次のように記録しています。
終戦後、飛行場は元の耕作者に返還され、耕作開始を計画したが、進駐軍命令によって中止され、しかも立入禁止となった。十一月中旬、進駐軍から返還されたが、すでに降雪期に入っており、二十一年春になってから、馬鈴薯を作付する計画が立てられていたと当時の新聞は報じている。(昭20・11・7新潟日報)
【村松町史より転載】(※2)
昭和21年(1946年)6月16日に米軍によって撮影された空中写真には、それらしき形態が見てとれます。 >>村松兵営跡(空中写真)

参考文献および転載(※1※2)

村松町史編纂委員会『村松町史』下巻
(村松町教育委員会事務局、昭和57年3月31日発行)
720頁(※1※2)、721頁(※2)
ページ公開日 2011.05.05