新潟の戦争遺跡・戦跡 ~先人たちの足跡~


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軍都村松

営所通り

歩兵第30聯隊の移駐

明治27年(1894年)に勃発した日清(現在の日本と中国)戦争での軍備拡張によって、歩兵第30聯隊の新設が決定。陸軍省が設置場所の調査をしている中、村松町(現在の五泉市)では愛宕原の約4万坪(村松町と菅名村にまたがる地籍)の献上を議決。明治29年(1896年)11月には新発田歩兵第16聯隊内にて歩兵第30聯隊が開設。明治30年(1897年)に入ると兵営などの関連工事が進み、同年9月、村松兵営に歩兵第30聯隊が移駐。兵員数は将校と兵士約1,700人、関連事業の職員を含めると軍関係者は約2,000人ともいわれました。

兵営敷地は、営舎4万坪・練兵場4万8,200坪・射撃場2万2,780坪・作業場2,755坪の合計11万3,735坪の他、村松衛戍病院などの関連施設。町では兵営門前から下町まで新道を建設しました。(営所通り・現在の学校町通り)

日露戦争から昭和20年終戦まで

明治37年(1904年)、日露両国(日本とロシア)は戦争状況となり、村松の歩兵第30聯隊も出征しました。日露戦争では日本が勝利し、その記念として村松(記念)公園が造営されました。

昭和18年(1943年)には、村松陸軍少年通信兵学校が創設され、全国各地から少年兵が入校。そして昭和20年(1945年)8月、終戦とともに軍都村松の歴史は幕を閉じました。

終戦後

連合軍による日本占領下、昭和20年(1945年)9月24日、県内では新潟市、高田市(現在の上越市)、三条市、柏崎市、新発田市と共に、村松町にもアメリカ軍第27師団の付属部隊が進駐してきました。村松町には兵員数1,183名、その後10月28日には660名、同年12月25日まで村松兵営に駐屯しました。
村松市街地地図

略年表

  • 明治29年(1896年)
  • 歩兵第30聯隊が、新発田歩兵第16聯隊内にて開設。
  • 明治30年(1897年)
  • 歩兵第30聯隊、村松に移駐。
  • 明治37年(1904年)
  • 日露戦争 歩兵第30聯隊出征
  • 明治39年(1906年)
  • 村松(記念)公園造営
  • 大正8年(1919年)
  • 歩兵第30聯隊、シベリア(現在のロシア東部)へ。
  • 大正14年(1925年)
  • 歩兵第30聯隊が、高田(現在の上越市)に移駐。
    新発田第16聯隊第3大隊が村松に分屯。
  • 昭和6年(1931年)
  • 満州事変
  • 昭和12年(1937年)
  • 支那事変
  • 昭和13年(1938年)
  • 新発田陸軍病院村松分院開設
  • 昭和16年(1941年)
  • 歩兵第158聯隊が村松に駐屯。
    真珠湾攻撃・開戦
  • 昭和18年(1943年)
  • 歩兵第158聯隊、千島列島松輪島へ。
    村松陸軍少年通信兵学校創設
  • 昭和20年(1945年)
  • 終戦

参考文献

村松町史編纂委員会『村松町史』下巻
(村松町教育委員会事務局、昭和57年3月31日発行)、356頁_361頁、721頁
ページ公開日 2010.12.30