新潟の戦争遺跡・戦跡 ~先人たちの足跡~


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村松陸軍病院跡

旧陸軍病院正面付近

現在、南部郷厚生病院の正門および正面玄関は南側(村松公園側)のため、通常は施錠され、関係者以外の通行はできないようになっています。
旧陸軍病院正面付近

約150メートルほど北側の門柱

旧陸軍病院正面付近から、約150メートルほど北側の門柱。向かって左側は、個人宅の玄関先に接しており、植物のツタで覆われています。
約150メートルほど北側の門柱

向かって右側の門柱

左右ともコンクリートのタイルで覆われていますが、向かって右側は一部が剥がれ落ちてレンガが見えています。営門の門柱と形がよく似ています。
向かって右側の門柱

境界石

南部郷厚生病院の南側(村松公園側)。病院敷地と道路との境界付近に、「陸軍省所轄」と刻まれた境界石があります。一般的には「陸軍省所轄地」と刻まれていることが多いので、「地」の部分が埋もれているのでしょうか。
境界石

村松陸軍病院跡・年表

  • 明治29年(1896年)
  • 村松衛戍病院として創設。(以下※1)
  • 大正14年(1925年)
  • 新発田衛戍病院村松分院となる。
  • 昭和13年(1938年)
  • 新発田陸軍病院臨時村松分院となる。
  • 昭和16年(1941年)
  • 村松陸軍病院となる。
  • 昭和20年(1945年)
  • 陸軍解体により厚生省へ移管、国立村松病院となる。
  • 昭和28年(1953年)
  • 国立療養所村松病院となる。
  • 平成7年(1995年)
    (※2)
  • 旧国立療養所村松病院と旧国立西新潟病院と旧国立療養所寺泊病院を統合し、国立療養所西新潟中央病院発足。
    国立療養所村松病院は、特措法第3条適用(譲渡)となり、四市中東蒲原老人福祉施設事務組合へ経営移譲し、南部郷厚生病院として開設。(四市中東蒲原老人福祉施設事務組合は病院運営を医療法人社団真仁会に管理委託)

引用

(※1)
『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』
2010年2月16日 (火) 10:33 UTC
http://ja.wikipedia.org/wiki/独立行政法人国立病院機構西新潟中央病院

(※2)
厚生労働省
『国立病院・療養所の独立行政法人化等について』
2010年12月30日 (木) 15:11
http://www.mhlw.go.jp/topics/2004/bukyoku/kenkou/1-5.html
ページ公開日 2010.12.30