新潟の戦争遺跡・戦跡 ~先人たちの足跡~
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村松兵営跡(旧版地形図)
旧版地形図に書かれている境界線に沿って、村松兵営の色分けをしました。厳密ではなく大まかではありますが、大体の位置が見てとれるようです。
(A)昭和9年(1934年)4月発行 2万5千分の1地形図「村松」
大日本帝国陸地測量部発行 明治44年測図 昭和6年修正測図
※明治34年以降の集成図「村松」に記してある、作業場と陸軍墓地を追記。
この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものである。(承認番号 平23情複、第69号)この複製品を第三者がさらに複製する場合には、国土地理院の長の承認が必要。
(B)昭和23年(1948年)1月発行 2万5千分の1地形図「村松」
建設省地理調査所発行 明治44年測図 昭和6年修正測図
※地形は(A)図とほぼ同じものの、兵営に関係する施設名称が消えています。
この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものである。(承認番号 平23情複、第69号)この複製品を第三者がさらに複製する場合には、国土地理院の長の承認が必要。
(C)昭和50年(1975年)撮影の空中写真と(A)を重ねる。
【引用】国土地理院撮影の空中写真/1975年撮影(※1)
この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものである。(承認番号 平23情複、第69号)この複製品を第三者がさらに複製する場合には、国土地理院の長の承認が必要。
写真1・(C図C1)地点
写真中央の奥は愛宕山。(C)図で重ねている空中写真では、愛宕山の麓まで耕作地になっていますが、現在は中学校(写真右側の建物)とグラウンドになっています。教育施設のため、少し引いた東側から撮影しました。
写真2・(C図C2)地点
写真中央の奥は愛宕山と村松公園の一部。中学校北側は、村松公園などの駐車場や福祉施設となっています。
写真3・(C図C3)地点
写真正面は南側。もう少し北(写真左手前)側が当時のそれに含まれますが、一般施設とその駐車場となっているので、南西の更地側に移動して撮影しました。山林の中にひとつの空間が広がっています。
写真4・(C図C4)地点
旧敷地の南東角。正面は北西側で手前はゲートボール場(市有地)。(A)図では、この敷地に「火」の文字が記されています。
写真正面は西側。写真左下の境界石から奥方向まで直線に旧境界が走る。
「陸軍省所轄」と刻まれた境界石。
陸軍病院跡
の境界石同様に「地」の部分が埋もれているのでしょうか。
引用(※1)
国土地理院『地図・空中写真閲覧サービス』
http://mapps.gsi.go.jp/
ページ公開日 2011.05.12
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