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村松公園(忠魂碑・慰霊碑)
忠霊塔から愛宕山へ向かう途中、左手の小高い丘に忠魂碑(明治39年建立)と戦没村松陸軍少年通信兵慰霊碑があります。
戦没村松陸軍少年通信兵慰霊碑・昭和45年(1970年)建立
(合掌)
陸軍少年通信兵の樹(十月桜)
慰霊行事
昭和40年(1965年)8月15日
旧村松陸軍少年通信兵学校の元職員、生徒約60名が村松町に参集して「全国少通連合会」を結成。慰霊碑の建立を決める。
昭和45年(1970年)10月11日
村松公園内に慰霊碑を建立。除幕式を行う。(当日祀られた英霊は199柱でしたが、その後判明した東京・村松両校の英霊を合祀して、昭和55年(1980年)10月11日の第3回慰霊祭までに674柱、平成20年(2008年)時点は812柱)
平成13年(2001年)をもって「全国少通連合会」は解散。以降は毎年10月11日を「少通慰霊の日」と決め、自主慰霊となる。
慰霊碑建立の由来
この慰霊碑は
先の大東亜戦争等において
祖国の安泰と
家族の平安を願い
敢然と戦場に赴き
義を盡し
若くして華の如く散った
陸軍少年通信兵の英霊を
慰めるため我等相図り
村松町のご好意のもとに
この地に建立し
八百余柱の御霊を合祀し
たものであります ここに
その偉勲を後世に伝え
永遠の平和を
祈念するものであります
平成七年十月十一日
全国少通連合会
参考文献
村松町史編纂委員会『村松町史』下巻
(村松町教育委員会事務局、昭和57年3月31日発行)、719頁、720頁
大口光威、佐藤善道『村松の庭訓を胸に 平和の礎となった少年通信兵』
(2008年10月刊行)、4頁
ページ公開日 2010.12.30
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